ホーム > お知らせ | 活動報告 > 2011年2月第2例会(1311回)

お知らせ

2011年2月第2例会(1311回)

2011年2月18日(金)商工レストラン

本日は一年に一度の「元ガバナーを囲む例会」です。村上明名誉顧問と、古き良き
高岡LCをよく知るL高田にスピーチをお願い致しました。
=例会次第=
12:15
  開会ゴング                    
  国旗に敬礼
  国歌・ライオンズクラブの歌斉唱 

会長挨拶 
メンバーシップキー賞 伝達   L松永  彰
LCIF・MJF1,000$献金感謝のピン伝達
L高田 政公、L松木 純一(10回目)L笠島  學(7回目)L宮重  清(6回目)
L国分 繁昭(5回目)L城 外喜男(4回目)L折橋 毅一、L藤森 秀章(2回目)

cimg2459cimg24601cimg24611cimg24661?

=====会   食=====
メンバースピーチ
L. 村上  明  演 題 「ライオンズのいろいろ」

【内容要約】
 入院中のところスピーチに来ました。1/16、雪よかしをしていたら転倒し肋骨5本
骨折。激痛が走るもその夜は我慢し翌日L笠島にTELし、アドバイスを受ける。しかし、
入院しようにも雪よかしで骨折した患者で一杯。
1/21入院。ただベッドに寝るだけの日々が始まる。10日も経つと痛みは半減した。
入院中いろいろなことを考え、感謝の気持ちが大切であることを改めて感じました。

cimg2468

L. 高田 政公  演 題 「ライオンズ雑感」

【内容要約】
Go for broken!(当たって砕けろ!)という言葉・個人を尊重し、人権を共有する民主
主義の憲法、この二つが人生に大きな影響を与えた。
1952年東京ライオンズクラブ誕生
1978年国際大会が東京で開催され(2回目)、L.村上薫が対立候補を圧倒し、日本人
(亜細亜)初の国際第3副会長に選出される。
1981年福岡舞鶴LCより、L.村上薫が、国際会長に就任する。

高岡LCは1957年にチャーターナイトを迎えた。当時初代事務局員は実妹が務めた。
L佐伯に入会を勧められ、30代で高岡LCに入会。そうそうたるメンバーに迎えられる。
その後一旦退会し、再入会。竹平氏にかわいがられいろいろなチャンスを与えられ、
現在に至る。
その間、*スズラン給食に感銘を受け、国際大会では、英語の重要性を痛感し、英語
の勉強を始めた。
高岡ライオンズクラブは永遠に不滅である。

-スズラン給食

 1965 年、日本ライオンズの奉仕活動は「スズラン給食」という形で実を結びまし
た。きっかけを作ったのは岩手県・盛岡ライオンズクラブでした。岩手県北上高地に
ある玉山村藪川は、盛岡から北へ53キロ、バスで2時間半、徒歩で更に2時間という
山村で、絶えず冷害に悩み、平年作でも平野部の3分の1という土地でした。藪川小
・中学校分校生徒のうち4割もの子どもたちが弁当を持ってきておらず、端境期とも
なると半数の子どもが欠食児童となりました。繁栄への道を歩き始めていた当時の
日本では信じられないような事態を知り、盛岡ライオンズクラブは直ちに行動を起こ
しました。

 まず、その分校に給食設備が贈られ、東京や横浜の各クラブも協力を申し出ました。
お金や物での解決だけでなく、都会の人たちにこの子どもたちのことを知ってもらおう
と、盛岡ライオンズクラブは山で摘んだスズランを東京のクラブに贈り、例会でそれを
売って給食費に充ててはどうかと提案しました。藪川小・中学校全校生徒が採取した
スズランは東京の23クラブ、横浜の3クラブに贈られ、約120万円の給食基金が集まり
ました。

 こうして1965年6月から藪川校での給食が始まり、毎日新聞、TBSがこれを報道して
大きな波紋を広げました。時の佐藤栄作首相は緊急指示で、辺地校への給食特別対
策費として予備費から5億円を支出することを決めました。更に翌年、辺地給食が予
算化され、パンとミルクは全額国庫負担となりました。東北の1クラブが始めた奉仕
活動が、ついには国を動かすこととなったのです。

cimg2469cimg2470
    
理事会並びに幹事報告
1.献血運動報告
2.高岡聴覚総合支援学校スキー教室招待Act.報告
3.室崎琴月生誕120周年記念コンサート・懇親会ついて
4.クラブホームページバナー広告について
5.第57回334‐D地区年次大会・ゴルフ大会について
6.第57回334複合地区年次大会について
出席率の報告/テールツイスターの時間

13:30また会う日まで、閉会ゴング

ホーム > お知らせ | 活動報告 > 2011年2月第2例会(1311回)

フィード
ログイン

ページトップへ戻る