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松楓殿解説ツアー報告

2021年3月19日(金)商工ビル1F ロビー 13:30~

高岡商工会議所1Fに高岡市出身の化学者高峰譲吉(1854~1922)が米国
・ニューヨークに構えた別邸「松楓殿(しょうふうでん)」の一部を
移設・再現し、2020年3月27日に公開しました。仁ヶ竹亮介様に
解説ツアーをして頂いた時の様子です。ご案内をそのまま、掲載させて
いただきました。

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入り口の松楓殿と書かれた額
大鳥圭介が揮毫(きごう)したものです。
明治39年と書いてありますね。譲吉が工部大学校卒業当時の校長先生
だったんです。大鳥圭介は言うまでもなく土方歳三や榎本武揚らと同じよ
うに函館まで行き、戦争をした人で、のちには、官僚政治家となって活躍
した人なんですが、工部大学校の以前に大阪の適塾、緒方洪庵が開いた
塾生でもありまして、その大先輩でもあったんですね。ですから、一学生
と校長ですから、非常に差があって、当時としても付き合いがあったのか
どうかも怪しいんですが、これによって「高峰博士の為」という為書きが
ありますので、おそらく何らかのつながりがあったことがわかります。
明治39年ののちに至るまであったということがこれによって証明される
ので、貴重な資料だなと思っております。
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松楓殿でございますが、この魚鼓の底にいろいろ書いてあって、これが
貴重なんですね。そこに高岡と書いてある。高岡綿場とあるのは、高岡の
綿糸の原料の取引所ですね。特に1824年に加賀藩で唯一、高岡は綿の
取引所に指定されたんですね。といいますのは、1821年に文政の大火で
街の中が焼けたんですね。その復興策の一つとして加賀藩は高岡に、
綿の取引所を許すという特権を与えた。その経済復興の措置をした。
ですから、1824年以降は、高岡はコメと並んで綿の町にもなっていくん
ですね。それの象徴がこの高岡綿場でございます。その御歴々のそれを
代表する商人たちが書いてあるわけです。ここの「化主(けしゅ)」
というのは、お坊さんの事なんですが、瑞雲寺と言うのは国泰寺の下寺。
須田にあるお寺で、今では廃寺みたいな感じになったらしいのですが、
そのお寺を経由して寄進されたものかなと思います。
それがなぜアメリカに松風殿に渡ったのかはっきりしていないのですが、
どうやら瑞雲寺は十村中川の南家が創建したお寺ですね。国泰寺を隠居
された方が、代々住まいされていたお寺らしくて、その裏山一帯が南家
の土地なんですね。
南家は高峰家と濃い親戚ですから、その関わりで譲吉の手に
渡ったんではないかと思われます。これは『高峰譲吉とその妻』を書いた
飯沼信子さんの説なんですが、それを示す資料はありませんので、
その辺は謎ですが、これは間違いなくアメリカの白黒写真に写っている
と思うのですが、松風殿の入り口付近にあった魚鼓です。これを縮小
したものが木魚です。これの大きいのは、瑞龍寺をはじめとした全国の
禅宗のお寺にございます。いろんな行事とか食事を知らせる鳴り物。
楽器の一種です。
でも、これを見ると実際に叩いたような痕跡はないので、記念物的な
ディスプレイの一種としてアメリカに渡ったんだろうなと思っており
ます。瑞龍寺のなんかは叩かれまくって劣化しておりますね。松楓殿と
同時に関係資料も大量に寄付されたのですが、唯一、「高岡」と書かれ
ているのはこの1点だけです。
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障壁画ですが、松と楓の絵が描いてあるということで、松楓殿だと思
うんですね。これよく見ましたら油絵なんです。近づいていただくと
キャンパスに油絵のように荒いタッチで描いてあるんですね。アメリカ
ですから乾いた土地でも長持ちするように、でも日本画に見えるように
描かれております。
これかいたのは牧野克次さん、この方は洋画家なんですね。
洋画家ですから油絵なんですね。今の京都工芸繊維大学。
当時は、京都高等工芸学校の初代の助教授ですね。非常に建築的にも
優れておりまして、描くだけでなくて内装の方も全部プロデュースと
言いますか、牧野さんが日本からたくさんの宮大工も引き連れてアメリカ
で手がけています。最終的に完成したのは21年もかかったんだそうです。
1905年にセントルイス万博が終った後に、日本館パビリオンを撤収
しなくてはならない。日本はそんなお金の余裕がないわけですね。
どうしようかと政府も困ったわけなんですね。そんなときに手を
差し伸べたのが譲吉でございまして、それなら私が買い取りましょう
ということでございまして、ニューヨーク郊外の
メリーウォルドパーク、日本でいうと軽井沢的なセレブの避暑地な
ところに移築したわけですね。全部解体してですね、全部、木材とか。
多くを列車で運んだ、大変なコストがかかっている
わけです。それで、単なる移築、復元ではなくて、新たに牧野さんとか
呼んでですね、こういう絵を描いてですね、より日本らしくしようと、
さらにお金をかけております。
譲吉さんが本当にたくさんお金を持っていたこと、そして身銭を切って
使ったんだなと、そういう日米親善の活動のスタートのような記念碑的
な建築でございますね。
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そして、いろんな備品が様々あるんですが、代表的なのはこれですね。
春日式八足卓というものであります。横に鯉とか龍とか言われますが、
それぞれ4本ずつの足があります。鯉は滝を上りますと龍に変わると
いわれております。日本人が大好きな縁起をかついだもの、そして
この辺の非常に過度な装飾、ゴテゴテしている装飾はですね、日光式、
日光東照宮ですね。非常に両面をみておりますと、日暮門と言われて
おりますが、ちょっと過度な、でも日本らしい門といわれます。
今までにはない美術様式なのですが、その日光式といわれる様式を
ふんだんに取り入れられたということでございます。これはですね、
譲吉はですね、日本らしさでも海外で活躍すると、アメリカらしい
日本らしさといいますか、そういうことを分かったうえで紹介して
おるということが言われております。そして、これらの家具調度品の
多くが山中商会という大阪の美術商社が手掛けております。その工場長
だったのが小松出身の彫刻家で今の富山県立高岡工芸高校の先生でも
あった、村上九郎作であるといわれています。
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狛犬
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ちなみに、この狛犬が一対ございます。これはあまり資料がなくてよく
わからないのですが、当時のお写真にありますので、間違いなくアメリカ
にあった備品の一つなんですね。ちなみに古い狛犬と言うのは、獅子と
狛犬なんです。獅子がいるんですね。向かって右の口を開けているのが
「阿形(あぎょう)」の獅子で、左の口を閉じている「吽形
(うんぎょう)」は狛犬です。獅子がオスで巻毛、角無し、狛犬がメスで
直毛、角があります。という違いは中世頃まではあったんですが、
江戸時代以降になってくると、ひっくるめて「狛犬」と言うことに
なったわけで、今は、ほとんど区別はありませんが、この角があるか
どうかとか、巻毛・直毛かどうかとかで区別できるんですね。
だから非常に優れて古いものだということがわかっております。
そして、こちらにあります花瓶は、そこに新聞記事も出ておりますが、
小馬出町の銅器商・金森七郎さんがですね、セントルイス万博に出品
したものだということも、出品目録の中から先日わかりまして、非常に
貴重な資料といえます。
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こちらは、障壁画の一つだと思いますが、能「羽衣」の場面を表したも
ので、ここに牧野克次と署名が入っておりますので、明治42年
「高峰博士の為」と言うことで、年代と作者がハッキリわかるということ
で、非常に貴重な資料だと思われます。そして天井ですね、よくよく
見ますとやはり油絵であります。よく見ますと細かい所なんかは荒い
タッチで描かれているんですが、これだけの距離をとってみるというもの
なので違和感なく日本画的に見えるわけですね。
これが1905年以降ですね、長らくアメリカにあって、この度高岡に戻って
きたということで、日米親善のシンボル的な貴重な建築でございますので、
日本の宝とも言えますので、そこは全国的な日米親善のシンボル的な
スポットとしてアピールしていく価値は十分あるかなと思っております。
そのアピールにご協力いただけましたら大変ありがたく、
宜しくお願いいたします。
「松楓殿」ツアー 解説:仁ヶ竹亮介氏 記録:L滝田 実千代
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ご興味のある方は是非お越しください。

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