ホーム > お知らせ | 活動報告 > 2011年11月第1例会(1328回)報告
お知らせ
2011年11月第1例会(1328回)報告
2011年11月4日(金)商工レストラン
本日の例会ゲストのお話を、ひとりでも多くの方にお聞き頂きたいと心から
思います。11月7日に開催されたこまどり支援学校との交流アクティビティも
併せてご覧下さいませ。
=例会次第=
12:15
開会ゴング
国旗に敬礼
国歌・ライオンズクラブの歌斉唱
会長挨拶
誕生月お祝い
4日L宮本 16日L山内 22日L国分 23日L松永 26日L金森
L金森は今月26日に満88歳の米寿をお迎えになります。
――会 食――――――――――――――
ゲストスピーチ
久木 直子 氏
演題「私が生きてきた道」
=スピーチ要約=
ポリオが大流行の兆しを見せ始めたころにちょうど2歳。北海道で第1号が確認
された後、空気感染で日本中に拡大した。
高熱⇒町医者に診てもらうがポリオの存在を知らず風邪と診断⇒時間と共に
おすわりもできなくなる⇒市民病院で隔離⇒両足で歩けなくなる可能性を示唆
される⇒行政にかけあう⇒当時国交のないソ連だけがワクチンと治療薬を開発
⇒ソ連に政府の役人と医師団を派遣(昭和35年)
結果的に両下肢の全機能を失う。
母親の強い信念のもと、家庭での厳しい自立訓練が始まる。
地域の人たちと交流する機会を与える。(当時は障害のある子を外に出さない
傾向があった)好奇の目に慣れさせるためにあえて銭湯に通わせた。
当時はこども用の車いすが一般的ではなく、手にサンダルをはめて四つん這い
で移動していた。本人は必至で、特につらいとも感じなかった。
保育園・小学校と普通学校を選び、入学までにはたくさんの障害があったもの
の、これも親子の強い信念で、乗り越えた。
何も直さない条件で受け入れが決まったが、学校生活はたやすいものではない。
階段の上り下りすらも四つん這いで、ズボンのすそがいつもボロボロであった。
そんな姿を見ていたクラスメートは、いつも助けてくれた。おんぶをしてくれる
友達もいた。ドッジボールも特別ルールを考案してくれたり、とても平等に接して
くれていたのである。
もちろん、いじめもあったが、今は辛い思い出はなく、楽しい思い出しかない。
そんな中、父親をがんで失い、親子は母親の出身地である金沢に引っ越しを
決める。中学は石川県立養護学校に進学し、そこで初めて自分以外の障害のある
生徒を目にし、自分の境遇に気付く。
そこでも必死にいろんなことに挑戦していった。
以降、四つん這いで鍛えた両腕の筋力を生かし、水泳・卓球・陸上競技で目覚ましい
結果をいくつも叩き出す。
現在は1男1女の母親で、野々市役場に勤務。
これからも皆さんに感謝しながら「私が生かされてきた道」をしっかりと歩き続けたい。
=プロフィール=
高岡市生まれ、石川県能美市在住。
2歳の時、ポリオウイルスに感染、以後両下肢の全機能を失う。
平米小学校、石川県立養学校護中等部・高等部を卒業する。
養学校護高等部時代、佐賀国体に水泳・陸上で出場する。
また、第2回フェスピック・オーストラリア大会に日本代表選手として、
水泳平泳ぎ(銀)・卓球(銀)・陸上100m走(金)・トラック400m(金)・スラロームの
5種目に出場。
就職してからも第3回大分国際車椅子マラソンでハーフマラソン女子総合優勝し、
第4回大会では、フルマラソン女子総合3位となる。
平成4年に結婚、1男1女の母、野々市町役場に勤務。
久木さん親子の強さに、打ちのめされた…といっても過言ではありません。
この方達のような強さを持てる人は稀だと思います。
ことばもありません。
スピーチ終了後、偶然にも平米小学校で同窓だったL中村と再会!
うれしいサプライズ!
理事会並びに幹事報告
1.第2回地区名誉顧問会議報告
*10/24(月)16:30~ ホテル日航金沢6F
2.こまどり支援学校との交流アクティビティについて
*11/7(月)9:30集合 こまどり支援学校 事務室
*L出村L濵野L般若L国分L小森L松木L宮重L室谷L中村L折橋
出席予定
3.第2回地区キャビネット会議について
*11/12(土)ZC会議・合同分科会13:00~ 全体会議15:15~
金沢スカイホテル
4.第48回歳末助け合い色紙展について
*12/1(木)~4(日)10:00~19:00(最終日は18:00まで)
高岡大和 7F特設会場
*歳末助け合い色紙展を開催し、市民の助け合いの精神をたかめるとともに、
収益金を高岡まこと銀行の社会福祉事業(障害者・高齢者・児童・母子・
ボランティア関係)に充当する。
5.その他
出席率の報告/テールツイスターの時間
13:30また会う日まで、閉会ゴング